院長プロフィール

院長 辻 喜次 つじ よしつぐ

院長 辻 喜次

経歴

  • 大阪府立島本高等学校 卒業
  • 平成医療学園専門学校 柔道整復師科昼間部 卒業
  • 大阪府高槻市市内の整骨院にて約6年間、管理柔道整復師として勤務

モトクロス歴

  • MFJモトクロス近畿選手権 国内B級125クラス250クラス 参戦
  • MFJモトクロス近畿選手権 NB-2クラス 参戦
  • ウエスタンチャレンジ・ロックスターモトクロスゲームズ・マイラップスモトクロスゲームズ など、関西のローカルレースに参戦

2014年よりMTAAのスタッフとして、JNCCや全日本モトクロス選手権などのモーターサイクルレースの現場で、KTM・ハスクバーナJAPAN公認セラピストとしてライダーのメンテナンスをしています。

My Story

オートバイへの目覚め

僕自身は中学二年の頃から、友人家族や深夜ラジオで喋っていた島田紳助さんの影響でモーターサイクルに興味を持ち始めて、特にレースに心を惹かれてしまいました。

中学二年のある日曜日に、NHKでパリダカールラリーの特集が放送されていて、何気なく見始めたと思うんですが放送が進んでいく内に、パリダカに関わっている人達の生き様や考え方に感動してしまい、「この人達と同じ場所に行きたい!パリダカの出場したい!」って思い、どんどんレースがしたい!レースに関わりたいと言う気持ちが大きくなっていったのを覚えています。
プロフィール1

社会に出てみて

高校卒業後ちゃんと進路も決めていなかった時に、母の知人の社長から仕事の誘いがありその社長の会社で4年間キッチリと社会人として働くとはどういう事かっていうのを教えていただきました。今でも、当時先輩から口を酸っぱくして言われ続けた「仕事は段取り8割!」「生きているうちに脳ミソ使わんといつ使うねん!」って言葉は、僕自身が仕事をしていくうえでとても大事にしています。
プロフィール2

モトクロスに夢中になる

20歳からモトクロスを始めました。それからは月曜~土曜まではしっかりと働き、日曜は朝早くから練習やレースに出ると言う日々になりました。ただ、働いていた職場が少人数だったので、ケガなどをして仕事の作業が出来なくなると業務に支障が出る環境でした。

ケガをする度に職場に迷惑をかけてしまって申し訳ない気持ちと、でもレースを続けたい、自分はもっと上手くなるって言う気持ちに折り合いをつける為に22歳の時に丸四年間お世話になった職場を辞めて、バイトをしながらレース中心の生活に切り替えました。それから25歳までの約三年間は本当にレースだけの日々、モトクロスに打ち込む生活でした。しかし、レース活動はお金がかかりその為に、平日は朝の七時半から夕方四時半まで食品加工工場の冷蔵庫の中で働き、一旦自宅に着替えに帰ってから夕方六時から夜中の一時までパチンコ店で働いてました。そして日曜日は朝早くからモトクロスコースに練習もしくはレースにエントリーし,空いている時間(早朝四時とか)に、バイクを整備する日々でした。
ケガも多くしましたが、自分の本当に好きな事に打ち込める凄く充実した期間でした。
モトクロス1

モトクロス2

迷走する…

25歳を過ぎた頃には、金銭的にも身体的にもかなり厳しくなり始めたので、レース中心の生活には一旦ピリオドをうち、正社員として中央市場の中にある会社で働き始めました。

ちなみに、この時点で僕はまだ整骨院と言う存在をほとんど知りませんでした。当時の仕事は中央市場内の海産物や青果を扱っている仲卸業者が使用している車両を販売リースする会社で車輌メンテナンスをしていました。平日はしっかり働き、趣味で週末たまにモトクロスを楽しむ生活を30歳までなんとなく過ごしていたのですが、そのまま30代に入った時に、将来に対しての漠然とした不安感が出てきて、何かしらの資格でも取ろうかな等と考えるようになりました。

モトクロスを続けていた事も有りやっぱり何かしらレースに関われる仕事がしたいと思いました。その頃に全日本モトクロスのトップライダー達をケアしている整体師さんがいることを知り、自分もこのような形でレースに関われるのではないだろうかと思い、そこから色々調べていく中で柔道整復師と言う国家資格を持つ人達がトレーナーとして活躍していてしかも開業も出来ると言う事を知りました。

この業界との出会い

自分自身ラグビーやモトクロスをしていて、よく打撲や捻挫をしましたが自分でシップを張って終わりであったり、骨折をしても整形外科でギブスをして骨がくっついたら後は自分で動かして!って感じでしっかりとしたケアをする事を知りませんでした。
同じようにケガをした人達を少しでもケアするお手伝いが出来ればその人達がそれぞれのスポーツをもっと楽しめるのではないだろうかと思い、この資格を取ってそのような仕事をしたいと考えました。

学生生活

そして当時住んでいた場所から自転車で行ける場所にあった、平成医療学園専門学校に入学、人生で初めてしっかりと勉強をした三年間でした。最初はとても苦労しました。なぜなら今までしっかりと勉強をした事が無かったので勉強の仕方がわからなかったのです。

年下のクラスメートにノートの取り方など色々教えてもらいながら、少しずつ勉強の仕方もわかり授業の内容も興味の有る事や仕事に繋がる知識だったのでとても楽しく少しずつ成績も上がっていきました。
午前中は学校で自習をし、昼から授業を受け、夕方から深夜にかけて働くと言う生活を三年間続け、そのかいあって無事に国家試験にも合格し、卒業時には同期で一人だけ校長賞として表彰していただきました。
校長賞

柔道整復師として

資格取得後、大阪府高槻市内の整骨院に管理柔道整復師として就職し,機器の扱い方や手技や患者さんへの対応、様々な手続きや事務作業等々本当に整骨院のあらゆる仕事を1から10までしっかり教えていただきました。とても感謝しています。

柔道整復師
正直最初はそれほどこの仕事に対して他の先生方ほど高い意識で入ったわけではなく、当時の自分を振り返ってみると、「何をやっているんだ」と、強く叱りたくなるような仕事ぶりだったと思います。それでも、施術させてもらった患者さんが徐々に良くなっていく様子や、感謝されたり頼りにされたりする中で、少しづつこの仕事に対する意識が変わって行ったように思います。

治療家としての目覚め

働いていた整骨院は、マッサージ主体の院でどの様な症状の患者さんも最低20分はしっかりと全身触ってあげるように!って感じの内容でした。その中でだんだんとこの患者さんには、全身触るより別の事をした方が良いのではないか?とか、この人にはもう施術はそれほど必要ではないのではないだろうか?等、色々と考えさせられる部分がでてきました。

二人目の子供の出産を機に、整骨院を退職ししばらく育休生活をおくりながら、働いている時には出来なかった開業している専門学校の同期達の院に遊びに行き色々な事をお互いに話し合う機会を持ちました。その会話の中で気付かされたのは、自分はこの仕事が好きで誇りをもってやっていたと言う事でした。
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つつじ整骨院院長 辻喜次

(柔道整復師 辻喜次 監修)